二人が『竜虎』の面々に背を向け、階段に向かうと途端に背後で喧騒が起こる。特に考えなくとも、内容は容易に想像が
ついた。きっと、突然のしかも最上層からの訪問者に対しての興味、好奇、不審、そして疑心などの類であろう。
「ごめんね、ゼロさん。みんな悪い人達じゃ無いんだ……」
「ええ。わかってますよ。普通は警戒しますからね、上から来た等と言えば」
「そうなのかな……」
イリアはまるで、仲間の反応が自分の責任であるかのように重く、沈んだ表情をしていた。実際そうなのだろうと思えた。
それ程までにこの少年は人に感応しやすく、そして優しい。
「イリア君が気に病む事じゃありませんよ。私は全く気にしていませんから」
安心させるように顔に笑みを貼り付け、ゼロは微笑んだ。それは全くの偽りの笑みであったが、そんな事はイリアの知る所では無い。
イリアはそのゼロの笑顔を見ながらも、それは自分に気を使っているのでは無いかと心配になる。基本的に小心者なのだ。
「ホントに、ごめんね」
再度謝り、うつむいた。ゼロはそれを笑みの奥で冷ややかに見ていた。
(この少年は、どうも弱すぎるようですね……まぁ、それだから手玉に取れたのですけどね)
基本的に、スラムの住人というのは警戒心が強い。それはしっかりとした治安も無い中、限りのある世界の中で生きるには自分しか頼るもの
が無いからだ。こうして『竜虎』などのチームはあれども、しかし自分の身は自分で守るしかない。だからこそ、本当に心を許した者意外に
は強い警戒を見せるのだ。そうしなければすぐにでも命を落とす事になる。
しかし、イリアにはその傾向が弱く見えた。それが何故かはゼロの計り知る事では無かった。
建物の二階に上がるだけの短い階段を上りきると、正面に木製のあまり綺麗とは言えないドアが立ち入りを拒否するかのように立ちはだかっ
ていた。イリアは躊躇する事無く、そのドアを叩く。
「ラクス、入ってもいい?」
その問いかけに、ドアの奥からくぐもった声が答えた。
「イリアか?いいぞ、開いてる」
それは知る限り間違いなくラクスの声で、イリアは躊躇わずドアを開ける。中は仕切り一つ無い、だだっ広いコンクリートの部屋だった。
ここも同じように装飾品は無く、小さな棚と簡易の寝台しか無かった。一つある窓から外の明かりが差し込んでいる。所々に散らばる本が異
様な雰囲気を醸し出していた。
そして、その寝台に彼は座っていた。
「ラクス!」
イリアは朗らかな声を上げて寝台に座っているラクスに小走りに駆け寄っていく。ラクスもそれを優しい微笑で迎えるが、すぐに入り口近くに
立つゼロに不審の目を向けた。
「イリア、あれは何だ」
「あれ?」
イリアはラクスの視線を追って、そこに立っているゼロに辿りつく。それでイリアは焦ったように弁解を始めた。
「ラクス、そんなに冷たく言わないで?ゼロさんは悪い人じゃ無いよ!」
「そんなもの、知るか。あれは何だと聞いてる」
「ラクス……」
悲しそうにイリアはラクスの名を呟く。しかし、あれと言われている当事者のゼロは全く気にした様子も無く、軽く返した。
「あれとは、随分な言われようですね」
クスクスと、少しも怒った様子でも無くゼロは笑う。しかしラクスがそんなゼロの軽口を聞くわけも無く、変わらず厳しい視線を向けていた。
イリアはその二人の間で焦ったような、困ったような表情をして立ち尽くしている。
「あなたがラクスさんですね」
「だったらどうした」
飽くまでも、ラクスは冷たく言い放す。それを気にするわけでもなく、ゼロは続けた。
「私はゼロ・ラジアスと申します。ここでこなさなければならない仕事がありましてね、この地区(ブロック)のリーダーと聞きましてお伺い
しました。協力を要請したいのですが」
「お前の仕事など知らない。協力だったら他のチームにでも頼むんだな。それに、ゼロと言う名は良く聞くが良い噂は聞かない」
「おやおや、それなりにご存知のようですね?どうせ降りてきた罪人にでも聞いたのでしょうが、それはかなり脚色された噂でしょうね」
ふぅ、と呆れたようにゼロは溜息をつき、肩まですくめてみせる。言外にそんな情報を鵜呑みにするな、と言っているのが伺えた。
「確か、最上層を取り仕切る企業の社長子息か何かだったな。そんな人間を信じられるか、スラムを甘く見るな」
「罪人達が語る私の話が悪い物なのは仕方ないでしょう?彼らは私が此処に送っているのですから。確かに私は社長子息ですがね」
「お前が善人だろうが悪人だろうが、俺達には関係ない。俺達は他人の介入を拒否する」
頑として考えを変える気は無いのだろう、ラクスは厳しく言う。
「困りましたねぇ。話も聞いていただけませんか?」
ゼロはさして困ったように見えなかったが、そんな言葉を口にした。笑顔は全く崩さず、ラクスに交渉をする。
「ラクス……お願い、話だけでも聞いてあげて?」
イリアは弱りきった表情でラクスを見上げた。その拝むような表情にラクスはバツの悪い思いを感じる。ラクスはイリアに弱かった。
「そんな顔をするな。わかった、聞いてやるからさっさと話せ。ただし、聞いたからと言って俺の考えが変わるわけじゃないぞ」
渋々といった感じの承諾に、ゼロは呆れたように笑い、イリアは嬉しそうな声を上げる。
「聞いてもらってから考えていただければ結構ですよ」
そうしてゼロは話し始めた。
話しの内容は殆どがイリアに話した物と同じだった。正し、最上層の風景などについては完全に省かれていたが。
『太陽』の事、現在の『太陽』の状況、『太陽』に干渉できる唯一の人間『力』を持つ者の事、そしてその人間がスラムで生まれる事……
そんな事をひたすら説明しながらゼロはラクスの表情を伺う。
ラクスはその話しを信じているのかいないのか、微妙な表情でゼロの話しを聞いていた。時々、驚いたような表情も見せる。
どうやらラクスも『太陽』の事など初耳だったようだ。
「私の話しはこんな所でしょうか。まぁ信じる信じないは貴方のの勝手ですが」
「……話しは分かった。しかし、そうだとしてもその『力』を持つ者はどうやって見つけるつもりだ。俺達はそんな奴知らないぞ」
「まぁそれは手がかりがありますので、一応。どうにかします」
「それと、だ。どうやってイリアと知り合った?」
今度こそ、不審の目をぎらっと光らせラクスは言った。そこには、俺の仲間に手を出すと容赦しないという意思がありあり伺える。
「イリア君とは今日会ったばかりですよ。この地区の端の方でね。イリア君はこの通り優しいですからね、困ってる私に声をかけてくれました」
「……ホントか?イリア」
いきなり話しを振られたイリアは焦った。勿論それは、ゼロの言っている事が偽りであるからに他ならない。
「う、うん。ホント、だよ」
つっかえつっかえ言うイリアに少し怪しむような視線を向けたが、ラクスはそれ以上深く問い詰めはせず視線をゼロに戻した。
(ゴメンね、ラクス。研究所の事は、秘密なんだ……)
仲間を、しかも自分の最も信頼してる者を騙しているという罪悪感がイリアに重くのしかかる。それを感じ取ったのか、ゼロが厳しい視線を向けてきた。
イリアは大丈夫、と視線に言葉を込めてゼロを見返す。その視線にゼロは微かに、本当に微かに頷いた。
「まぁ、そういう事です。信じていただけたでしょうか?」
ゼロは狡猾さを内に秘め、笑った。


地下の楽園TOP  第二章6