第三章.『紋章』の意味


照明器具のため時間を感じさせなかったが、時計で言うならもう時は夕暮れの頃。
イリアとゼロの合意により、今ゼロはイリアの家に居た。やはり崩れかけた、コンクリートの小さな住居。
そこはまだ十代半ばの幼い少年と更に幼い少女が住むには、あまりにも不釣合いだった。そう、言うならば廃墟に近い。
それは、スラムに住む住人達の永遠の理不尽の姿だった。
「ここに、住んでいるんですか?」
「そうだよ。ボロボロでしょ?でも、俺達をずっと守ってくれた家なんだ」
そう、誇らしげに言うイリアはその理不尽すらも気づいていないように笑う。もしかしたら、本当に気づいていないのかも
知れないし。それともそんな事はどうでもいいのか。
もしも、ここに住むのがゼロならば。
(狂いますね、まず)
生まれてこの方、社長子息としてちやほやされながら生きてきた。今更こんな廃墟に近い住居などでの生活など、耐えられる
ハズが無い。期限付きだからこそ、こうしていられるのだから。
そう、『太陽』に干渉できる唯一の人間、『力』を持つ者を見つけるまでの期限。
自らの使命に、野望の炎をゼロは笑顔の後ろに燃え上がらせる。周囲には決して気取られないような、静かな炎。
「ええ。立派な家ですね」
心にも無い事を平気で口にする。しかしイリアがそんな事に気づくはずが無かった。
「うん。大切な家なんだよ。俺とリアを守ってくれてる」
「そうですか。じゃあ少しの間、お世話になります」
「うん、遠慮しなくていいからね」
「ありがとうございます」
実際、イリアの家に居候するにあたって、ゼロにはメリットが多い。イリアの一緒に居る事で『竜虎』を初めとする、スラムの
状況が手に取るようにわかる。そして、『力』を持つ者の情報も入りやすくなるだろう。
(もちろん、遠慮なく利用させていただきますよ。イリア君)
クス、と一瞬不気味な笑みを浮かべた。
もちろん、イリアには気取られないように。
イリアはポケットから鍵を取り出し、あちこちが欠けたドアの鍵穴に差し込んだ。そのままで回すと、カチャと鍵の外れる軽い音が
する。すぐに壊れそうな鍵だった。
最上層ではセキュリティーが厳しく、こんな何世代も前の鍵の形態などどこにも無い。
現在は指紋識別、声紋識別など、その他にも色々なロックの方法がある。研究所のように、パスワード式の物の少なからずあった。
それに比べれば、こんなスラムの鍵など無いに等しい。
「ゼロさん、どうぞ。あんまり綺麗とは言えない所だけど」
「はい、お邪魔します」
促されるままにゼロはイリア宅へと足を踏み入れた。中は外見に比べるとそれなりに整えられている。
壁のヒビなどは隠しようがないのかそのままだったが。
「結構、綺麗にしてあるんですね。壁とかは仕方ないですが」
ゼロは思ったままを口にした。聞き様によっては頭に来るかもしれない言葉を、イリアはまた誇らしげに笑って返す。
「リアがやってるんだ。リアはセンス良いんだよ、まだ小さいけどね」
確かに、壁に飾られた装飾品や、置かれている家具類はそれなりにセンスの良い物ばかりだった。
イリアの言葉に嘘は無い。
しかし全体の古さは隠せず、ゼロは少なくとも数日間は此処で生活しなければならない事に少なからず嘆息した。
今まで優雅な暮らしをしてきたのだから、それも当然といえる。
「今から夕飯作るから、ゼロさん遠慮なく寛いでてよ」
イリアは言い残すと、奥の部屋へと引っ込んで行った。しかし取り残され、ゼロは成す術がない。
「はぁ、そういわれても……」
「ゼロさん……」
遥か下方から小さな声がした。
一瞬驚いて、目線を下に向けるとリアが大きな目でゼロを見上げている。全く、存在感が無かった。
(あぁ、そういえばこの子もいたんですね……)
すっかりその存在を忘れていたゼロとしては、流石にバツの悪さを隠しきず、はっきりとその顔に苦渋の表情が浮かぶ。
しかしリアにその表情の意味を理解できるわけもなく、何事も起きはしなかった。
「何ですか?リアちゃん」
「お部屋、案内するね」
「あ、そうですか。よろしくお願いします」
先ほどの失態を隠すように、ゼロは笑う。リアはそのゼロの前を先導し始めた。
さほど広くない住居。
それでか、部屋自体が少なかった。玄関から繋がってる部屋だけでニ部屋しかない。さっきイリアが入っていったドアの奥はキッチンだと
仮定すると、実際部屋自体はもう一つしか無いようだ。
リアはそのドアに向かう。
(あそこが私の部屋だとすると、二人はどこで寝起きするんでしょうねぇ)
しかし案の定、リアはゼロをその部屋に案内した。
「君たちは、どこに寝るんですか?」
「リアの部屋だよ。キッチンの奥にあるの」
どうやら、もう一つ部屋があるようだ。
「なら良かった。私が来て、君たちの寝る場所が無くなったらどうしようと思いました」
「ん、大丈夫だよ」
リアはゼロを見上げて笑った。同じ笑みでも、ゼロの物とは百八十度違う。全く違う。
「自由に使ってね」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあリア、お兄ちゃんのお手伝いしてくる」
リアは自分の兄を手伝いに、部屋から出て行った。その小さな背中を見送り、改めて部屋を見回す。
そこはどうやらイリアの部屋のようだった。




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