壁は全面が空色に塗られ、雲のペイントがされている。大して高くない天井も同じように塗られ、立っていると少し変な
感じがした。空は特にリアルでも無く、何だか変な世界に紛れ込んだようにも思える。
隅に置かれたベッドは木製で白い布団が敷かれている。ここには子供用も何も無いのか、イリアが寝るにしては少し大き
過ぎるような気もした。しかし、ゼロが寝るには問題なさそうだった。
それよりゼロの視線は枕元に置かれた茶色いクマの人形に止まる。人形は見るからに古く、あちこちがほつれていた。
元は明るい茶色であろうそれも、所々シミが目立つ。
「はぁ、これ置いて寝るんですかね」
苦笑気味にゼロはその人形を手に取った。良く見ると、首から下げられたカードに何か書いてある。

『リュフイ』

ただそれだけ書かれたそのカードは角が潰れ、黄ばんでいた。
「リュフイ?名前でしょうかね」
やはり子供だと呟いて、ゼロは喉の奥で笑う。人形をまた枕元に戻した。
そしてまた部屋の観察を再開する。
ベッドの隣に置かれた背の低い棚にはギッシリと分厚い本が詰め込まれていた。どれもこれもイリア程の子供が読むには
難しすぎるように思えた。それともこういう物が好きなのか。
残念ながらゼロにもその判断まではつかなかった。
(それにしてもこの部屋といい、周囲の人間の扱いといい、彼の年齢を考えると幼すぎますね……見た所、十五歳かそこら
のハズですが……)
その事にゼロは少なからず首をひねる。
「十五歳……私はどんな子供だったんでしょうかねぇ」
ゼロはきっと十年程前の事であろう、自分の子供時代を思い浮かべようと頭を動かした。しかしそれは記憶の欠片程も思い
浮かばず、すぐに断念する。ゼロにとって過去など取るに足らない物に過ぎなかった。
しかしイリアと全く違うだろう事だけは容易に想像できる。
自分しか居ない部屋で、ゼロの思考はとめどなく広がっていった。
しかし広がる思考は特に重要な物では無く、ただ単に浮かんでくる事柄について思考しているにすぎない。
その時ゼロの思考を破るようにドアが開いた。
「ゼロさん。ご飯できたよ?」
顔を覗かせたイリアに目を向けて、ゼロは無駄な思考を断ち切る。
すぐさま笑顔を作り、イリアに応じた。軽く礼を口にし、ゼロはイリアに付いて部屋を出た。
ドアを閉める前にもう一度だけ中に目を向ける。しかし何故か目に止まるのは茶色い古ぼけたクマの人形だった。


ゼロを迎えるために作った料理を前に、イリアはゼロと共に食卓に座る。
小さなテーブルに並ぶ料理は特に見栄えが良いわけでは無かったが、庶民的で、温かみのある料理ばかりだった。
ゼロは幼い頃から豪華な料理しか見てこなかったため、どうしても珍しい物を見るような目になってしまう。
それを敏感に見て取ってかイリアが不安そうにゼロを見上げた。
「嫌、かな。こういう料理。ゼロさん、もっと豪華な物食べてるんでしょ?」
「あ、いえ。嫌じゃありませんよ。確かに豪華な物しか見てませんでしたから……なんというか、その、珍しくて。すいません」
申し訳なさそうにわずかに頭を下げるゼロに、イリアは慌てて頭を振る。
「あ、全然良いから!気にしないでよ」
「すいませんね」
「ううん、全然!さ、どーぞ食べて。それなりに、美味しいと思うから」
「じゃあ、頂きます」
ゼロはフォークを手に、料理を口に運び出した。少量を口に放り込み、数秒間無言で口を動かす。
「これ、美味しいですね」
今しがた口に入れた肉を使った料理を指して、ゼロは言った。イリアは自分の料理を褒められ、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「ホント?嬉しいなぁ」
自分も料理を口に運びながらイリアは終始ニコニコしていた。
「イリア君は、料理が好きなんですか?」
「うん。大好きだよ。スタンとかは銃とかの方が好きみたいだけど……俺はあんま戦いとか好きじゃないから。料理の方が全然
楽しいよ」
「そうですか。イリア君は争い事が嫌いですか?」
「うん。嫌いだよ。スラムは色んな地区(ブロック)があるし、色んなチームがあるけど。みんないっつも戦ってばっかりだから。
昨日、隣の地区のチームが攻めて来て……勝ったけど、仲間がいっぱい死んじゃった」
その事を思い出し、イリアの表情が一気に沈む。それは見ているのも痛ましい程、悲痛な顔だ。
それ程に彼は仲間を想い、争いを嫌っている。
ゼロはそんな彼を、優しい少年を利用しようとしている。
(壊れてしまうでしょうか、この少年は)
さして気の毒と思うわけでも無いが、なんとなくゼロはそう思った。
もしかしたら、それはこの少年にとってとても残酷な事なのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。
しかしそれもゼロの心を動かすにはとても足りなかった。





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